出走者決定

たぶん世界初開催となる秋の駅伝芸術祭に出走する3組が決定しました。

“山崎皓司+前川遥子”組、“村田峰紀×松原東洋”組、“佐塚真啓”組です。

開催日は10月13日(土)。

各組のプロフィールがTERATOTERAの駅伝芸術祭サイトに掲載されています。

http://teratotera.jp/events/ekidenart18/

これとは別に、出走者紹介文も追って公開しますので、お楽しみに。

この3組はタイムを競いません。1組1区間ずつ走り、3組が3区間を、1本のタスキを受け渡ししてゴールします。これで駅伝といえるのか、といぶかしく思う向きもあるでしょう。しかし駅伝の歴史を鑑みると、この駅伝芸術という形式が、近代オリンピックとの関わりを通して、駅伝がもつ精神性や理想を体現していることが、おいおい分かることと思います。

一方、駅伝芸術において、芸術がどのような位置づけなのか、少し書きます。今回決まった出走者はそれぞれ、芸術と浅くはない関わりを持ちます。山崎皓司は多くの舞台作品に出演するパフォーマー。前川遥子はダンサー。村田峰紀はドローイングをパフォーマンスとしてみせるアーティスト。松原東洋は舞踏家。佐塚真啓は現代美術家。彼らは多く身体表現を使ったアートをつくってきました。しかし、ここでは、単に芸術の一領域としてのダンスやパフォーマンスのことを強調したいわけではありません。

例えばアメリカの画家ジャクソン・ポロックが、絵筆をカンバスに接触させず、絵具を滴らせることによって描いたドリップペインティングには、ポロック自身の身体の動きが記録されています。あるいは、日本の前衛芸術運動、具体の代表作家である白髪一雄が、天井から吊るした綱にぶら下がって、カンバスに足で描く油絵は、まさにそこに足があったことがありありとわかる生々しい身体の記録です。神様や崇高なものごとをモチーフとしなくなって以降、アートは、人がつくるアートとしての身体性を重視してきました。いま記した筆触(=ストローク、足触?)の肥大化もそうですし、経緯やつながりを重視するアートも身体性に還元できる要素を多く持っています。

そのような意味で、アートとしての身体表現を、駅伝という形式で記録に刻もうというのです。その際、重要なのが、映像。駅伝芸術のもようは、逐一、インターネットを通じて生中継(=同時配信)されます。各組のアートは、走りながら、あるいは走る合間に現われる(表れる)ので、沿道の観客としてその一部だけをみるだけでは、作品としての駅伝芸術を十分に体感できないでしょう。おすすめはネット鑑賞で一部始終を目撃コースです。アクセス先は改めてお知らせします。

ちなみに、今回、近代絵画の巨匠を引き合いに出したことは、各出走者の駅伝芸術にはなんの制約も課しません。それぞれがどんな芸術になるかの展望は、改めてお知らせします。なにせ初めての駅伝芸術なので、イメージが焦点を結んでいない方が大多数でしょう。

(テラッコiwaosho)

 

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