「私には夢がある」キング牧師

「こんな夢を見た」夏目漱石または黒澤明

 スポーツが生む感染症的な熱狂。普段はたいして関心を向けていない競技なのに、各種ワールドカップ、夏冬のオリンピックでにわかにファンとなり、自国のチームや選手を熱烈に応援する人たち。しかし勝負に敗れ、大会期間が過ぎると症状は収まり、熱にうなされた人たちはまた日常に戻ってゆきます。そんなにわかファンを苦々しく眺める芸術関係者をみたことがあるでしょうか。かれらは国家を象徴するかのような幻想に支えられた集団的興奮から遠く離れ、ときに競技や競技者が視界に入ることさえ厭います。

 あるいは、こんな光景もよく目にします。日本の体育会的環境に育まれ、秩序や序列を重んじた価値観を刷り込まれ社会生活を営む人たち。かれらのなかには、芸術には興味がなく、審美感を問われる局面から極力遠ざかり、趣味嗜好の体系から美的なものを閉め出すことに熱心な人もいます。美術やアートという言葉に気づくや否や、すかさず自身の感覚器を遮るベールをひいて意思疎通を拒んでしまう。

アートとスポーツのこうした不幸な関係を、駅伝芸術は変えられるかもしれません。なぜなら、アートはときとして先鋭的で何者をも寄せ付けない装いをみせる反面、同時に無限の寛容性も持ち合わせているから。また、スポーツの祭典・オリンピックは、その起源を近代のはじめ、あるいは古代ギリシアまでたどると、芸術文化とごくあたりまえに共存していたことがわかるからです。

国際オリンピック委員会=IOCが定める『オリンピック憲章』には、オリンピズムの根本原則の筆頭項目としてこう記されています。「オリンピズムはスポーツを文化、 教育と融合させ、 生き方の創造を探求するものである」。スポーツと文化は融合し得るということ。この融合を駅伝芸術で実現しようというのが、駅伝芸術祭というイベント・プロジェクトの趣旨です。

私には夢があります。それはアーティストとアスリートが手を携え、みなで駅伝芸術にいそしむという夢です。

こんな夢をみました。駅伝芸術がオリンピックの正式種目に採用される夢です。嘘。

2020年、東京でオリンピックが開かれます。運動競技がおおいに盛り上がり、文化関連の事業も破格の扱いで打ち出されます。この間に橋を渡す役割をいくらかでも担えたら幸いです。

(テラッコ iwaosho)

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